―月光―



足を投げ出しフェンスに背もたれ、見上げれば天上に輝く星の数々。

そしてひときわ大きな月の光が、暗闇を裂いて私の顔を照らす。

星の光は海辺の砂浜のように夜空で煌めいているけれど、月の光は私の手に届き体を射抜き、影を作る。

千年の昔、十二単の裾より長い黒髪のかぐや姫も同じ月の光を浴びたのかしら。







15歳―。

春まだ浅く、学生服にコートを着て高校の合格発表を透と一緒に見に行った。

透は何日も前からソワソワドキドキ。

大丈夫だからって何度言っても、

「上原は受かって当然の成績だからな。あ〜ぁ、やっぱ無理したかなぁ・・・」

むくれたり、弱気の発言をしたり。透には厳しい試練の受験だったよう。

でも私には、ちょっぴりそれが嬉しかった。

普段は透に頼ってばかりの私だったから。



成績は私のほうが良かった。

学年で必ず十番以内。

「すごいな、上原は。ホント頭良いよな、勉強じゃ勝てねぇよ」

何て言いながら、ちっとも悔しそうじゃなくて。

何をしてもあまりパッとしなかった私だけど、勉強だけは出来たから。

認めてもらえるものがあったから、なお頑張った。


「上原と同じ高校に行けたらいいけど、俺の成績じゃ無理だな」

そろそろ高校受験を控えた中学三年生の夏休み、屈託ない笑顔で透が言った。

「僕・・・ワンランク落として、篠田君と同じ高校へ行く」

私にとって高校へ行く価値は勉強ではなかった。透といたかった。

「・・・ばかじゃん、お前。俺そんなことする奴、大嫌い」

ギッと睨む目が、ばかにするなと言っているようだった。

「だって・・・」

思う気持ちを言葉に表すことが出来なくて、やっぱり何も言えず俯くばかりだった。

それが透にとって、一番嫌いなことだとわかってはいても。

「俺が頑張ればいいんだよな。まずは上原と同じ高校、受験出来るように。
受験勉強一緒にし
ような。ってか、勉強教えて下さい」

おどけてぺこりと頭を下げる。

「やめてよ・・・」

蚊の鳴くような私の声に

「本当だぜ、ちゃんと教えろよ」

と、肩を組んで来た。

透はいつも前向きだった。そしていつも最後には笑顔があった。





高校の特設ボードに張り出された結果発表。

「あったぁ!!」

透が自分の受験番号を指差しながら私に抱きついた。

「上原!お前のおかげだよ!ありがとう!!」

そう言って何度も何度も私に抱きついた。

それは私たちだけでなく、横でも、前でも、後ろでも皆が同じように抱き合って、喜び、あるいは慰めるどこにでもある結果発表の風景。

だけど私の心臓の鼓動は、受験に受かった喜びではなく。

透の胸に抱きすくめられて、彼の鼓動が聞こえる。

重なり合う心音は高鳴り、その時私は確信した。

透の手、透の腕、透の体、触れるのではなく・・・。


―篠田君に、抱かれたい―


いつかの夏の日、透が肩を組んで来た時。

キュウッと胸が締め付けられたのは、抑え切れない
私の中の女が悲鳴を上げたのだと今さらながらに思い知った。



その夜、初めて夢精した。

夢の中で、それは甘美に溶けて浸透し官能となって体内を駆け巡る。

放出の瞬間のエクスタシー。


地獄は目覚めた時にやって来た。

濡れた下着とシーツ。

自分の体に起きた異変。知らなかったわけではないけど。

いつか来るんじゃないかと、思ってはいたけど。

しばらく呆然として、次に吐き気がした。

下着の中の気持ち悪い感触。

無意識の内に支配された自分の体。

男の生理が私には耐えようもなく。

狂ったようにシャワーを浴びて、洗っても、洗っても、とれない感覚。

頭は拒絶するのに、体が快楽を求める。

精神と肉体を分かつもの。

女の心と男の体。


―僕は何者なのだろう・・・誰か教えて、誰か・・・助けて!―


濡れたシーツ。浅ましい自分の残骸。

私は部屋になど帰れるわけもなく、玄関を出て屋上へ向かった。

まだ真夜中の風は冷たく、吐く息も白い。

マンションの屋上、フェンスを越えて外側に出た。



足を投げ出しフェンスに背もたれ、見上げれば天上に輝く星の数々。

そしてひときわ大きな月の光が暗闇を裂いて、私の顔を照らす。







「真澄・・・。こっちへ来い」  

(上原・・・。こっちへ来い)

透が、右手を差し出して立っていた。


「今日はちょっと捜したぞ」

(上原の父さんから電話があった)


「透、良くここだってわかったわね」

(父さんから・・・)


「ママの店を出たらやけに明るいんだ。柔らかな月の光は・・・お前の肌のようだ」

(心配しているんだよ、皆。俺にも話せないこと?上原・・・)


透はずるい。

普段は口が裂けても言わないような言葉を、自分が不利な時は惜し気もなく使ってくる。


「前の時は約束破りを上手いこと言いくるめられたけど、今度はそうはいかないんだから。
若い子と飲み歩いて帰っても来ずに。堂々と浮気されるくらいなら、別れてあげるわよ!」

(・・・僕は汚い。あんなこと・・・いやなのに。
体が・・・僕は・や・・だ・・・。 下着・も・・シーツ・・まで・・)


「言い訳は言わない。真澄が決めたらいい。
その代わり、もう一度だけ抱きしめさせてくれ」 

(・・・上原、初めてだったの。汚くなんかねぇよ、当たり前のことだろ。
こっち見ろよ。俺は汚いか・・・?)


そして最後にはいつも笑顔があった。



移り行く時代の中で、普遍の光。

月光(げっこう)

同様に、変わらぬものがあった。

透―




フェンスに手を掛けたと同時に、差し出していた透の右手が私の脇に滑り込み・・・

「捕まえた!真澄!真澄!」

フェンスの内側。ほとんど倒れ込むように透の胸に覆い被さり、そのまま固いコンクリートの上を二人して転がった。

私を上に乗せ、真下に透の顔。透の両手が私の頬を挟み込む、暖かい掌で。

「真澄は中学生の頃からちっとも変わらないな」

私は変わったわよ。変わらざるを得なかった、私の十年。


本当は知っていたの。

この時期は新入社員の歓迎会でたいがいおバカな小娘が飲み潰れて、周囲の同僚に迷惑を掛ける姿。

夜の世界で私はずっとそんなのを、見続けて来たのだもの。


―あなた、こんな可愛い子置いていっちゃうの?だめよ、ちゃんと送っていってあげなさい。
なぁに、女房が?小心者、若い子なんて滅多にないチャンスじゃないの!―


そんなことばかり、言い続けて来たのだもの。


「会社の女の子が飲みすぎて、急性アルコール中毒だよ。
親御さんが来るまで、病室の外で待っていたんだ。俺もかなり飲んでいたし・・・ごめんな、真澄」


いざ透がその相手となると、たまらなくいやだった。

おバカな小娘たちに、嫉妬していたのは私。

彼女達の若さ。汚れのなさ。純粋さ。無知なところさえも。


「言い訳はしないって言ったでしょう、透」

本当は知っていたの。でも、いや。

二度としないように懲らしめておくわ。

そのつもりで強気に言ったのに、何故か不敵に笑う透の顔。

「そうだな・・・でも、知っていたんだろう?俺の口からちゃんと話しておきたかった」

よっ!反動をつけて、透が私を抱えたまま上半身を起こした。

屋上の中央で、透も私もベダッと座り込んで天上を見上げた。

透が私を身体ごと抱き寄せて、唇を合わせてくる。

明るい月の表面は、私たちのシルエットが映るよう。


「・・・透。本当に別れるって言ったら、透はどうするの。私が決めていいんでしょう」

「そうだな・・・。そうなったら俺はこのまま、お前の気が変わるまでこうしているさ」

透は遠いあの日を思い出すように、黙って私を抱きしめ続けた。





―夜分に申し訳ない。篠田君、真澄の様子がおかしいんだ。
屋上のサクを越えて・・・昼間は高
校も君と一緒に受かったと喜んでいたのに・・・―


「お義父さんから電話が来て、飛んで行ったよ。
俺も肝を冷やしたけど、お義父さんとお義母さ
んは、見ていてどんな気持ちだったんだろうな」


父も母も、あの夜のことは何も言わなかった。

母は薄々気付いていたようだった。

部屋に帰ると、シーツも掛け布団さえも取り替えてあった。


あの時も今日も屋上のフェンスの外に出たのは、この身にぎりぎり危険なことで、やり切れない自分の思いの代償としたかっただけ。


―こっち見ろよ。俺は汚いか・・・?―

真後ろから聞こえた声に振り返ると、透がいつの間にかフェンス越し目の前に来ていた。

中学生の透はいまよりもずっと背が低くて、フェンスによじ登って私の腕を掴み内側に引き入れた。

屋上の固いコンクリートの上、背中合わせに座る私と透。

何を話したのかは全く記憶になくて、
あるのは今日と同じように月の光が私たちを照らし出していたことだけ。




「ずるいわ、透.・・・」

「うん、わかってる」

また透の自信満々の笑顔。

ずるいけれど、大好きな私だけの透の笑顔。




移り行く時代の中で、普遍の光

月光(げっこう)

月の満ち欠け、しかし輝きはその形態を問わず

それはまるで透と私、二人の人生のように

普遍の愛

変わらぬ透の愛に包まれて―







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2014,2,1